ひきこもり備忘録

これってこういうことなのかな?と勝手に思って1人で楽しんでいます。

映画『レフト-恐怖物件-』を観た

タイトル:レフト-恐怖物件-
原題:You Should Have Left
監督・脚本:デヴィッド・コープ
原作:ダニエル・ケールマン
アメリカ/2020年/93分

あらすじ:前妻を殺害したのでは?と噂される主人公。新しい妻と娘とともにある別荘にやって来るが、そこで奇妙なことが起こり始める。

 

Netflixにて。主演のケヴィン・ベーコン氏に釣られて視聴しました。
主人公の内面を強く反映した表現がストーリーに直接関わっている為、個人的にはかなり好きなタイプの映画でした。

 

↓ここからネタバレ感想です↓

 

 

家のオカルト要素に強制されているのか、主人公の後悔がそうさせるのか、己の罪と向き合った主人公は家に留まります。己の罪と向き合い、罪を背負って生きていく……というわけでもなさそうです。オカルトな家の様子からして、主人公はもう死ぬこともできないのでしょう。この家の中に閉じこもり、ずっとひとりで自分の罪を見つめ続けるのでしょうか。こういう後ろ向きのエンディングが好ましかったです。

ただ、「主人公の罪の話(正義と罪悪感)」だと思って視聴を終えましたが、この違和感からするとまた違うテーマで描かれていそうです。

この映画においてのオカルト能力を持つ(?)家は、罪悪感と罰を暴く装置のようなものだと思いましたが、それにしては家の存在感が強いです。ラスト、主人公を取り込んだ家がまた売りに出されているところなど、家側に意思と未来(新たな罪人を裁く)がありすぎている気がします。

主人公視点で捉えていましたが、この「法律では裁けない罪を背負った主人公」を「暴いて裁く(何らかの刑を執行する・させる)家」が出てくるのならば、この映画で本当に描きたかったのは家側の行為にある?

となると「法で裁けない罪を裁く」がこの映画で描きたかったことなのでしょうか。
それはそれで独善的で窮屈な話に思えるので、違うテーマもあってほしいなと思いました。