備忘録 フローティングペンの芯を替えてみた
油性ボールペンの芯はユニ信者です。
この為なるべく三菱鉛筆性のボールペンを購入したいのですが、個人的にかわいい!かっこいい!と思うボディは三菱鉛筆ではないことが多いです。
せっかく毎日使うものなら、好きなデザインにしたい。でも書き味を優先しがち。
このもどかしさを解決するのが改造という手です。
下手をすると文具の破壊という結末を迎える可能性もある手ですが、実験も兼ねて賭けに出ます。
今回はフローティングペンの芯を別のボールペンの芯に替えてみました。そのメモをここに残しておきます。

今回替えたのはこちらのフローティングペン。昨年世田谷美術館で開催されていた伊藤潤二展で自分用のお土産に購入したボールペンです。
伊藤潤二先生の作品「グリセリド」のとある場面をフローティングペンの特性を活かし表した1本。
ヘッドにMADE IN DENMARKの刻印がありましたので、おそらく純正品です。
傾けると……



兄のニキビ油が妹の顔面に迫ってくる。
このボールペン、めちゃくちゃ好みなのですが、書き味が全く好きではないのです。ユニ信者的にはせめてJET STREAMくらいの滑らかさで筆記をしたい。
なら筆記はこれを使わずユニを使えばいいじゃないかと思いますが、せっかく買ったのだから使いたい。
使い切りも勿体無いし、何よりこのデザインが好みなので、なるべく長く使いたい…。ならば解体して、好きな芯に替えれるようにすればいいではないか。
というわけで解体しました。

芯が出る方に捻りながらボディを左右に引っ張ると分解できました。*1
全て今後も必要なパーツなので、解体の勢いで紛失しないようにします。

フローティングペンに入っていた芯。白軸の中央あたりにあるこのツメが大事なようです。こちらも次回の為に保管しておきます。
今回替えてみるのは、お土産でもらった謎の韓国製3色水性ボールペンに入っていた赤のインクにしてみます。(ユニ信者と言っておきながらユニとは関係ない芯ですみません……)
謎のボールペンは、芯を変えられるのかと気になって解体してみた瞬間、ネジが飛び出して紛失、ボディはボールペンとして使用できなくなりました。しかしフローティングペンの純正インクよりは何倍も書きやすい。(どんだけ嫌なんだ…)
勿体無いし、せっかくなのでこの芯を入れてみます。

写真を撮る前にカットしてしまった為赤芯の元の姿は残っていませんが、同じペン軸に入っていた青芯と並べて比較。結構長め。
この長さから、フローティングペンの芯の長さまでハサミでカットしました。

そこそこ使った後だったのでカットできましたが、新品だとできなかったかも。(青インクもそこそこ使用済の状態です)これにセロハンテープを少しずつ巻いていくことで、大体同じくらいの太さに調整。


テープを巻いたのはこの2ヶ所。
セロハンテープで擬似的なツメとペン先すぐの引っ掛かりを作りました。


画像のようにフローティングペンの部品を取り付け、割れないよう願いながら軸の上下をはめ込み直します。
ボディにセットしてからも何度か動作確認をします。
・捻って芯を繰り出せるか
・捻ってペン先をしまえるか
・筆記をしてみて、ペン先が引っ込んだりブレがないか
以上をチェックしつつ、不備があれば軸から出して長さや太さを調整してゆき……

完成!

解体前よりも結合部に謎の隙間ができている……が、ペン先も繰り出せるし筆記も問題なし。
これで好きなペンで楽しく筆記ができるようになりました。
めでたしめでたし。
*1:※メーカー的には基本的に使い捨てであり、芯を替えたい場合はメーカーか専門業者を通した方がいいと思います。※フローティングデザインのある方が割れたり、変に捻りすぎてボディにヒビが入る可能性はありますので、もしやるなら破壊前提の自己責任で!
久しぶりの投稿、鬱陶しい自分語り
あんまり自覚がないので半信半疑なのですが私はうつ病なのだそうです。医者が儲けたいがための嘘じゃないのかな?と通院を始めて5ヶ月ほど経ちましたがいまだに疑っています。疑ってはいるけれど、処方してもらった薬を勝手に止めて一週間過ごしただけで自宅がめちゃくちゃになりかけましたのでたぶん本当にそうなのかもしれないなとは思いました。
薬を飲むようになって、最近では「自己肯定感」というものを理解しかけているような気がします。自己肯定感というものは、思っていたよりも論理的な説明のできる感情なのかもしれない。駄目な自分は駄目な自分として捉えて、改善する方法を考えてみたり、無理そうなら他の方向から取り組めばいいんじゃないかな、と、最近は思えるようになりました。この考えを得るのにウン10年かかりました。それも薬に頼ることで初めて得られました。
私は軽度なので薬の処方ぐらいでこうなれましたが、これは単純にもともとの私が楽観的なタイプだったのかもしれないし、私の頭が悪く視野も狭いのでもっとどうにもならない問題に気づけていないからなのかもしれません。デブ・ブス・陰気なおかげか対等な人間として扱われてこなかった為、派手に酷い目に遭うこともなかったというのもあるかもしれません。デブでブスで陰気だと、見下されてやたら攻撃を受けるか腫れ物にさわるように扱われるかのどちらか、かつどちらにしても必要以上に興味を持たれないので待っていれば過ぎ去ります。そんなふうに過ごしてきたので、何事もそのうち無いのと同じになるぞ!と楽観的に物事を捉えるようになったのかなと思います。この部分が近年では薄れていて、だからちょっと調子が悪くなったのかもしれないなと思いました。
ここまで思っておいていまだに医者の診断を半分疑っております。いつ薬を止めるようになるのかはわかりませんが、もうしばらくは通院と服薬を続けてみます。
なるべく隠してはいますが、先日帰省時に高校の友人にこういう診断をされちゃってびっくりして…と話したところ、高校生の頃には既にそうだったよ!!とのお言葉をいただいてしまいました。そうだったのか。ということで隠してはいますが実は知人らにばれている可能性もあるかもしれません。誰にも気づかれていなければいいんですけどね。
以上。まわりになるべく隠しているのでちょっと吐き出してみたくなりました、というお話でした。他人が読んでもわけがわからないことを書いているとは思います。もしここまで読んでしまった方がおられましたらすみませんね。口直しに楽しいアニメでもご視聴ください。お目汚し失礼しました。
読んで不穏に晒されよう!『その頃、N市では』
タイトル:その頃、N市では カシュニッツ短編傑作選
著者:マリー・ルイーゼ・カシュニッツ
訳:酒寄進
出版:東京創元社
先日読み終わった短編集。
著者の作品は80年代に邦訳が何冊か出ていたようですが、最近ではめっきり出なくなっていたようです。今回読んだのは日本国内でつい1年前に再編集され刊行されたばかりの短編集です。
カシュニッツ作品は今回が初めてだったのですが、読み終わるまでにはすっかりこの作品集がお気に入りになりました。
サマンタ・シェウェブリンの『七つのからっぽな家』という短編集が好きなのですが、それと似た読後感。不安、不快感、奇妙さに翻弄されますが、そこがクセになる。
特に気に入ったのは『いいですよ、わたしの天使』でした。
娘のように可愛がっていた下宿人に家を奪われ、善意につけこまれてひどい扱いを受けてゆく……というお話。
読んでいてとにかく主人公から家を取り上げてゆく下宿人(“下宿”してる人のはずなんです)エヴァにヘイトが溜まる溜まる……。スカッ〇ジャパンざまあ系小説ではないので、彼女には何の天罰も下る展開はありません。読者側はスカッとしませんが、エヴァからすると主人公の存在がある意味天罰のようなものなのかもしれませんが。エヴァがあまりにも”悪”すぎるので、だんだん愚かとも呼べそうなくらい純粋な善意でエヴァに尽くす主人公に対してももうちょっとしっかりしてくれ!などと思うようになります。
胸糞が悪いお話なのですが、このように過激な感情をもたらしてくれたこと、こうやって不器用で鈍感で傷つきやすい主人公に胸をかき乱されたことが楽しかったのでお気に入りです。
この短編集内ではほとんどのお話がこういう感じです。不器用だったり夢見がちだったりする女性たちを主人公に、読者の心を乱してくるようなお話が展開されます。本書内だと他に『長距離電話』『四月』がお気に入りです。
ラストに組み込まれている『人間という謎』は必見。他の話を読み終わったあとにこの話を読んだのですが、オチで気持ちいいくらいにコテンパンにされた気分になりました。こんなお話にまた出会いたいです。
反面教師として読んだ『最後の扉を閉めて』
タイトル:最後の扉を閉めて
原題:Shut a Final Door
著者:トルーマン・カポーティ
訳:川本三郎 新潮文庫「夜の樹」収録
あらすじ:広告業界で働くウォルター。傲慢ながらも傷つきやすい彼は、親しくなった者たちをも傷つけて生きている。
主人公のウォルターは自分本位で周囲を傷つけながら生きています。それもおそらく無自覚に近いのでしょう。周囲を傷つけ、結果的に相手が嫌なことをしてきたのだとして己も傷つき、人間関係の範囲がどんどん狭まってゆく。
タイトルの「扉」はそんなウォルターが心を開ける範囲、「心の扉」という意味なのだと思います。
作中で2度かかってきた電話は、おそらくウォルター自身なのだろうと思います。ウォルターに残った良心、潜在的な客観性から見いだせる自覚のある悪意が警告をしていたのだろう……と思いたい。
ラストはみな悪意を持って接してくるのだとばかりに被害者ぶりますが、全部自業自得で因果応報。
電話は実際鳴っていたのかもしれませんが、ウォルターを怖がらせるような内容では無かったのかもしれません。全く違う内容でも、どんどん心の扉を閉めて疑心暗鬼になっていったウォルターにとっては自分を追い詰める言葉に聞こえるだけ。
ウォルターの他人に開くことのできる心の扉。幾重にもあった心の扉を何かがある度に閉めてゆき、「最後の扉」も閉めてしまったウォルターは、だれにも心を開かなくなる。これからはずっとひとりになる。
ウォルターは「こんな風にはなりたくない」と思うキャラクターではありますが、私も心の扉をたくさん閉めてきた人間です。ウォルターを嗤い、非難することはできますが、彼の気持ちもわからなくはないのです。
全部他人のせいに出来たら、自分の都合よく現実を歪めて見ることができればどんなに楽に生きれるかと思うこともあります。けれどこれらをやって行き着く先はウォルターと同じ末路なのでしょう。
このお話の中では、ウォルターと親しくなれるのは恋人でも友人でも女性ばかりですね。
学生時代では、アーウィングという同性の友人(仲の良い知人程度かもしれないが)はいましたが、それも彼の恋人を寝とったことでだめになる。そういうことをするから!
アーウィング以外にもこの短編の中にはウォルターと同性のキャラクターは出てきますが、すべて相手を利用してやりたいとかなんとか、そういう感情を持ち、そんな関係しか築けない。 やがて親しくなった女性たちにもひどい噂を流したり、貶したりしたためにだめになる。
どうしてウォルターは女性とは一時的にでも仲良くなることができたのか。異性とは肉体関係を持つなど世間体的にも交流しやすい、それに性別の違いから無意識に己(男性)とは別ものだとして認識しているから?それともアーウィングの件で罪悪感から無意識に「同性の友人」を避けていたから?
この件は他の方の見解を知りたいです。私はひとまずこのどちらも推しておきます。
映画『ハリガン氏の電話』を観た
タイトル:ハリガン氏の電話
原題:Mr. Harrigan's Phone
監督・脚本:ジョン・リー・ハンコック
原作:スティーヴン・キング
配給:Netflixオリジナル映画
アメリカ/2022年制作/105分
あらすじ:大金持ちのハリガン氏の朗読係になったクレイグは、彼と交流していくうちに友人の関係になる。やがてハリガン氏は亡くなるが、遺体と一緒に埋葬したはずのスマートフォンからメッセージが送られてくる。それをきっかけにして、クレイグの周りで不幸な事故が起こり始める。
Netflixオリジナル映画。スティーヴン・キングの短編小説の映像化作品なのだそうです。原作小説の邦訳版はまだ出ていようですね。少年と老人が仲良くなり、死後にではありますが老人は不思議な力(?)を使い……となると、それってアトランティスのこころ上巻ではないか?とも思いました。
かなりライブ感で書くことの多い作家さんでもあるらしいので、根幹のテーマをつきつめていくとシチュエーションが似てくるのかもしれません。今回は「人の多面性」と「若者ならまだ間に合う」「悪の心に打ち勝て」というテーマになるのでしょうか。
クレイグにとっては優しい友人だったハリガン氏。ですが他の人々が語る印象は主人公の知らない悪人の面が多くなっていきます。
クレイグ視点では優しい面しか見せていなかったハリガン氏が、クレイグにとっての障害となる者たちを消していくなんて本当にするのか?と中盤までは疑問に思っていましたが、終盤までいけば彼は本当にやるのだろうなと納得します。これはハリガン氏の一面であり、クレイグの一面でもあります。ハリガン氏は、クレイグが自分に似ていることを見抜き、反面教師としてメッセージを送っていたのではないかと思います。
主人公が一旦悪い道(ハリガン氏)に入るところもアトランティスのこころに似ています。自分の正義とは真逆の性質を自覚し、「私たちめちゃくちゃになっちゃったわね」に成ってしまう(これはアトランティスのこころの方です)。
Netflixオリジナルとして制作されたスティーヴン・キング作品はこれを含めて5作ありますが、どれも話の芯をしっかり持っており、個人的には好きなタイプの映像化だと思います。1作だけ観ていないのでそのうち鑑賞したいです。ただどれも主人公がナレーションする独白タイプの映像化になっており、小説をそのままスライドしたような表現です。次に同著者原作を映像化する際は、もう少し他の表現でも観てみたいと鑑賞側としては思いました。実はこの3作の原作を読んでいない為、映像化の工夫はそれぞれにたくさんあるのだとは思いますが……。