ひきこもり備忘録

これってこういうことなのかな?と勝手に思って1人で楽しんでいます。

久しぶりの投稿、鬱陶しい自分語り

あんまり自覚がないので半信半疑なのですが私はうつ病なのだそうです。医者が儲けたいがための嘘じゃないのかな?と通院を始めて5ヶ月ほど経ちましたがいまだに疑っています。疑ってはいるけれど、処方してもらった薬を勝手に止めて一週間過ごしただけで自宅がめちゃくちゃになりかけましたのでたぶん本当にそうなのかもしれないなとは思いました。

薬を飲むようになって、最近では「自己肯定感」というものを理解しかけているような気がします。自己肯定感というものは、思っていたよりも論理的な説明のできる感情なのかもしれない。駄目な自分は駄目な自分として捉えて、改善する方法を考えてみたり、無理そうなら他の方向から取り組めばいいんじゃないかな、と、最近は思えるようになりました。この考えを得るのにウン10年かかりました。それも薬に頼ることで初めて得られました。

私は軽度なので薬の処方ぐらいでこうなれましたが、これは単純にもともとの私が楽観的なタイプだったのかもしれないし、私の頭が悪く視野も狭いのでもっとどうにもならない問題に気づけていないからなのかもしれません。デブ・ブス・陰気なおかげか対等な人間として扱われてこなかった為、派手に酷い目に遭うこともなかったというのもあるかもしれません。デブでブスで陰気だと、見下されてやたら攻撃を受けるか腫れ物にさわるように扱われるかのどちらか、かつどちらにしても必要以上に興味を持たれないので待っていれば過ぎ去ります。そんなふうに過ごしてきたので、何事もそのうち無いのと同じになるぞ!と楽観的に物事を捉えるようになったのかなと思います。この部分が近年では薄れていて、だからちょっと調子が悪くなったのかもしれないなと思いました。

ここまで思っておいていまだに医者の診断を半分疑っております。いつ薬を止めるようになるのかはわかりませんが、もうしばらくは通院と服薬を続けてみます。

なるべく隠してはいますが、先日帰省時に高校の友人にこういう診断をされちゃってびっくりして…と話したところ、高校生の頃には既にそうだったよ!!とのお言葉をいただいてしまいました。そうだったのか。ということで隠してはいますが実は知人らにばれている可能性もあるかもしれません。誰にも気づかれていなければいいんですけどね。

 

 

以上。まわりになるべく隠しているのでちょっと吐き出してみたくなりました、というお話でした。他人が読んでもわけがわからないことを書いているとは思います。もしここまで読んでしまった方がおられましたらすみませんね。口直しに楽しいアニメでもご視聴ください。お目汚し失礼しました。

読んで不穏に晒されよう!『その頃、N市では』

タイトル:その頃、N市では カシュニッツ短編傑作選
著者:マリー・ルイーゼ・カシュニッツ
訳:酒寄進
出版:東京創元社

 

先日読み終わった短編集。
著者の作品は80年代に邦訳が何冊か出ていたようですが、最近ではめっきり出なくなっていたようです。今回読んだのは日本国内でつい1年前に再編集され刊行されたばかりの短編集です。
カシュニッツ作品は今回が初めてだったのですが、読み終わるまでにはすっかりこの作品集がお気に入りになりました。
サマンタ・シェウェブリンの『七つのからっぽな家』という短編集が好きなのですが、それと似た読後感。不安、不快感、奇妙さに翻弄されますが、そこがクセになる。

特に気に入ったのは『いいですよ、わたしの天使』でした。
娘のように可愛がっていた下宿人に家を奪われ、善意につけこまれてひどい扱いを受けてゆく……というお話。
読んでいてとにかく主人公から家を取り上げてゆく下宿人(“下宿”してる人のはずなんです)エヴァにヘイトが溜まる溜まる……。スカッ〇ジャパンざまあ系小説ではないので、彼女には何の天罰も下る展開はありません。読者側はスカッとしませんが、エヴァからすると主人公の存在がある意味天罰のようなものなのかもしれませんが。エヴァがあまりにも”悪”すぎるので、だんだん愚かとも呼べそうなくらい純粋な善意でエヴァに尽くす主人公に対してももうちょっとしっかりしてくれ!などと思うようになります。

胸糞が悪いお話なのですが、このように過激な感情をもたらしてくれたこと、こうやって不器用で鈍感で傷つきやすい主人公に胸をかき乱されたことが楽しかったのでお気に入りです。

この短編集内ではほとんどのお話がこういう感じです。不器用だったり夢見がちだったりする女性たちを主人公に、読者の心を乱してくるようなお話が展開されます。本書内だと他に『長距離電話』『四月』がお気に入りです。
ラストに組み込まれている『人間という謎』は必見。他の話を読み終わったあとにこの話を読んだのですが、オチで気持ちいいくらいにコテンパンにされた気分になりました。こんなお話にまた出会いたいです。

反面教師として読んだ『最後の扉を閉めて』

タイトル:最後の扉を閉めて
原題:Shut a Final Door
著者:トルーマン・カポーティ
訳:川本三郎 新潮文庫「夜の樹」収録

あらすじ:広告業界で働くウォルター。傲慢ながらも傷つきやすい彼は、親しくなった者たちをも傷つけて生きている。



主人公のウォルターは自分本位で周囲を傷つけながら生きています。それもおそらく無自覚に近いのでしょう。周囲を傷つけ、結果的に相手が嫌なことをしてきたのだとして己も傷つき、人間関係の範囲がどんどん狭まってゆく。
タイトルの「扉」はそんなウォルターが心を開ける範囲、「心の扉」という意味なのだと思います。
作中で2度かかってきた電話は、おそらくウォルター自身なのだろうと思います。ウォルターに残った良心、潜在的な客観性から見いだせる自覚のある悪意が警告をしていたのだろう……と思いたい。
ラストはみな悪意を持って接してくるのだとばかりに被害者ぶりますが、全部自業自得で因果応報。
電話は実際鳴っていたのかもしれませんが、ウォルターを怖がらせるような内容では無かったのかもしれません。全く違う内容でも、どんどん心の扉を閉めて疑心暗鬼になっていったウォルターにとっては自分を追い詰める言葉に聞こえるだけ。
ウォルターの他人に開くことのできる心の扉。幾重にもあった心の扉を何かがある度に閉めてゆき、「最後の扉」も閉めてしまったウォルターは、だれにも心を開かなくなる。これからはずっとひとりになる。



ウォルターは「こんな風にはなりたくない」と思うキャラクターではありますが、私も心の扉をたくさん閉めてきた人間です。ウォルターを嗤い、非難することはできますが、彼の気持ちもわからなくはないのです。
全部他人のせいに出来たら、自分の都合よく現実を歪めて見ることができればどんなに楽に生きれるかと思うこともあります。けれどこれらをやって行き着く先はウォルターと同じ末路なのでしょう。


このお話の中では、ウォルターと親しくなれるのは恋人でも友人でも女性ばかりですね。
学生時代では、アーウィングという同性の友人(仲の良い知人程度かもしれないが)はいましたが、それも彼の恋人を寝とったことでだめになる。そういうことをするから!
アーウィング以外にもこの短編の中にはウォルターと同性のキャラクターは出てきますが、すべて相手を利用してやりたいとかなんとか、そういう感情を持ち、そんな関係しか築けない。 やがて親しくなった女性たちにもひどい噂を流したり、貶したりしたためにだめになる。
どうしてウォルターは女性とは一時的にでも仲良くなることができたのか。異性とは肉体関係を持つなど世間体的にも交流しやすい、それに性別の違いから無意識に己(男性)とは別ものだとして認識しているから?それともアーウィングの件で罪悪感から無意識に「同性の友人」を避けていたから?
この件は他の方の見解を知りたいです。私はひとまずこのどちらも推しておきます。

映画『ハリガン氏の電話』を観た

タイトル:ハリガン氏の電話
原題:Mr. Harrigan's Phone
監督・脚本:ジョン・リー・ハンコック
原作:スティーヴン・キング
配給:Netflixオリジナル映画
アメリカ/2022年制作/105分

あらすじ:大金持ちのハリガン氏の朗読係になったクレイグは、彼と交流していくうちに友人の関係になる。やがてハリガン氏は亡くなるが、遺体と一緒に埋葬したはずのスマートフォンからメッセージが送られてくる。それをきっかけにして、クレイグの周りで不幸な事故が起こり始める。


Netflixオリジナル映画。スティーヴン・キングの短編小説の映像化作品なのだそうです。原作小説の邦訳版はまだ出ていようですね。少年と老人が仲良くなり、死後にではありますが老人は不思議な力(?)を使い……となると、それってアトランティスのこころ上巻ではないか?とも思いました。
かなりライブ感で書くことの多い作家さんでもあるらしいので、根幹のテーマをつきつめていくとシチュエーションが似てくるのかもしれません。今回は「人の多面性」と「若者ならまだ間に合う」「悪の心に打ち勝て」というテーマになるのでしょうか。
クレイグにとっては優しい友人だったハリガン氏。ですが他の人々が語る印象は主人公の知らない悪人の面が多くなっていきます。
クレイグ視点では優しい面しか見せていなかったハリガン氏が、クレイグにとっての障害となる者たちを消していくなんて本当にするのか?と中盤までは疑問に思っていましたが、終盤までいけば彼は本当にやるのだろうなと納得します。これはハリガン氏の一面であり、クレイグの一面でもあります。ハリガン氏は、クレイグが自分に似ていることを見抜き、反面教師としてメッセージを送っていたのではないかと思います。
主人公が一旦悪い道(ハリガン氏)に入るところもアトランティスのこころに似ています。自分の正義とは真逆の性質を自覚し、「私たちめちゃくちゃになっちゃったわね」に成ってしまう(これはアトランティスのこころの方です)。

Netflixオリジナルとして制作されたスティーヴン・キング作品はこれを含めて5作ありますが、どれも話の芯をしっかり持っており、個人的には好きなタイプの映像化だと思います。1作だけ観ていないのでそのうち鑑賞したいです。ただどれも主人公がナレーションする独白タイプの映像化になっており、小説をそのままスライドしたような表現です。次に同著者原作を映像化する際は、もう少し他の表現でも観てみたいと鑑賞側としては思いました。実はこの3作の原作を読んでいない為、映像化の工夫はそれぞれにたくさんあるのだとは思いますが……。

B3P ep.3の感想

ジャンプSQ. RISE 2023 SPRING掲載「血界戦線 Beat 3 Peat」の3話目を読んだ感想です。

まだ各話タイトルがつけられていない為、便宜上「ep.3」と表記させていただきます。

 


↓↓↓以下、ネタバレ含みます↓↓↓

 

 

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映画『レフト-恐怖物件-』を観た

タイトル:レフト-恐怖物件-
原題:You Should Have Left
監督・脚本:デヴィッド・コープ
原作:ダニエル・ケールマン
アメリカ/2020年/93分

あらすじ:前妻を殺害したのでは?と噂される主人公。新しい妻と娘とともにある別荘にやって来るが、そこで奇妙なことが起こり始める。

 

Netflixにて。主演のケヴィン・ベーコン氏に釣られて視聴しました。
主人公の内面を強く反映した表現がストーリーに直接関わっている為、個人的にはかなり好きなタイプの映画でした。

 

↓ここからネタバレ感想です↓

 

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短編小説『ミリアム』を読んだ

タイトル:ミリアム
原題:Miriam
著者:トルーマン・カポーティ
訳:川本三郎
新潮文庫「夜の樹」収録

あらすじ:孤独な老女の前にミリアムと名乗る少女が現れる。ミリアムは老女のもとに度々やってきては老女の生活を掻き乱してゆく。

 

新潮文庫の短編集「夜の樹」に収録された1作です。私が初めて読むカポーティさんでもあります。

ジャンル分けするならこのお話はサイコホラーだと思いました。主人公の孤独にまつわる絶望感を、「ミリアム」という厄介なキャラクターで表現されています。

孤独には意図せずネガティブな感覚が常に付き纏ってきます。不安感、閉塞感、逼迫感、恐怖感、不快感など。これらを一気にもたらすミリアムは、幼い少女の姿をしています。無垢な子供の姿で悪感情をもたらす彼女は主人公の負の感情の化身でもあるので、主人公と同じ名前を持っています。

一瞬でも孤独ではない経験を持てば、どんなに覚悟をしていようとも不安を感じる時が来ると思います。主人公のミリアムには結婚の経験(誰かと長らく暮らした経験)もありますし、尚の事。これはある日突然やってきて(必ず原因があり、予兆もあるが)、どんなことをしても気を紛らわしても己から離れることはない、おそらくずっと…という絶望。
少女のミリアムに声をかけたことは主人公の耐えれていた孤独の状態が決壊する予兆でもあった。それからはもう、おそらくずっと、主人公の傍に現れ(発症し)続けるのでしょう。

己で打開策を講じても失敗する。1人では抱えきれなくなって誰かに助けを求めようとするも誰もが主人公に対しては無関心なので、何の解決にも繋がらず、むしろより追い詰められる結果となる。
他人に助けを求めるも失敗した主人公は、己を落ち着かせます。自分を落ち着かせてくれるものを思い出して、二度とミリアムを訪れさせない為に己の精神面に働きかけましたが、その甲斐虚しく、ミリアムはそれでもやって来ました。おそれを振り払おうとしてみるも、こちらに意図せずそれらはやって来て、感情を蹂躙していくのです。

Wikipediaによると、カポーティさんが19歳の頃にこの小説が雑誌に掲載されたのだそうです。どうしようもない孤独と、これがずっと続くのかもしれないという絶望を、20代にもならないうちに感じていたのかもしれないなと思いました。